【2026 年ウィンブルドン】 大坂、世界1位のサバレンカ破る 初の準々決勝進出

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エイミー・ロフトハウス、BBCスポーツ上級記者(ウィンブルドン)
テニスの4大大会の一つ、英ウィンブルドンの女子シングルス4回戦が5日、ロンドン郊外のオール・イングランド・クラブであり、復活を遂げた大坂なおみが見事なパフォーマンスで第1シードのアリーナ・サバレンカを破り、初めて準々決勝に進出した。
大坂はセンターコートであった試合で、グランドスラム(4大大会)4回優勝のサバレンカにサーブ、ショット、戦術のすべてで上回り、6-2、7-6(7-2)で勝利した。
サバレンカにとっては、2022年全仏オープン以来のグランドスラム早期敗退となった。また、122試合ぶりのストレート負けだった。
大阪は素晴らしいプレーを見せた。2回目のマッチポイントで勝利をつかむと、信じられないといった様子でラケットを頭に当てた。
大坂がウィンブルドンでベスト8に入るのは初めて。大坂は先月の全仏オープンでも、初めて大会2週目まで勝ち残った。
大坂はこの日の試合後、「コートでこんなに楽しかったのは久しぶりだ」、「それがここでできたのには大きな意味がある」と話した。
強打を特長とする両者の対戦は、ここ3カ月で4回目だった。過去3回はすべてサバレンカが勝っていた。
しかしこの日は、大坂が終始、圧倒的な強さを見せた。サバレンカと互角に打ち合い、コート全体でいい動きを見せた。
サバレンカはこの敗戦で、今年のグランドスラムでは優勝を果たせないままとなっている。
大坂は次の試合、準決勝進出をかけて、第10シードのカロリナ・ムホヴァ(チェコ)と対戦する。
ムホヴァは、2024年ウィンブルドン優勝のバルボラ・クレイチコヴァに勝利した。これにより、女子シングルスは9大会連続で新たな優勝者が誕生することになる。
大坂が試合をコントロール
大坂は2023年7月に産休から復帰して以来、ベストの調子を取り戻すのに苦労していた。昨年後半にコーチを代えたことが功を奏したとみられる。
元女子世界ランキング1位のイガ・シフィオンテク選手のコーチだったトマシュ・ヴィクトロフスキ氏の指導を受けるようになってから、昨年の全米オープンで準決勝に進出し、今年の全仏オープンでも自己最高成績を収めるなど、好結果を残してきた。
芝コートでの成長の理由を尋ねられた大坂は、「ポーランドの偉大な男性のおかげ! トマシュに感謝!」と答えた。
「チームのみんなに感謝! みんな最高。一緒にいると本当に楽しいし、みんなからたくさんのことを学んでいる」、「私と一緒にこの旅路を歩んでくれることに、とても感謝している」と続けた。
大坂はこの日の試合、トップシード選手が通常見せる戦い方を、サバレンカ相手に見せた。ベースラインでのラリーを支配し、サーブとフォアハンドでポイントを取るというものだ。
大坂のウィナーは結局21本に上った。2本目のウィナーは第1セット序盤でブレークを奪う大きなポイントだった。サバレンカにミスが続くなか、大坂はこのセット、2回目のブレークにも成功した。
両選手ともショットは力強かった。だが、大坂はコントロールに優れ、32分で第1セットを奪取した。
サバレンカは第2セットも苦しみ、自分の頭をラケットでたたく場面も見られた。それでも、サーブで窮地を切り抜け、タイブレークに入った。
サバレンカはこの試合まで、4大大会でのタイブレークを21回連続で制していた。そのため、このセットを取って最終セットに持ち込む自信があっただろうが、大坂はここでも主導権を握り、5-1とリード。そのまま勝利した。
サバレンカ、今年は4大大会で結果出せず
サバレンカは昨年、4大大会すべてで準決勝以上に進んだ。しかし今年は、本人の高い基準からすると、厳しい年になっている。
女子テニス協会(WTA)のツアーで最多タイとなるタイトルを獲得したが、全豪オープンでは2年連続で、決勝で3セットの末に敗れた。
全仏オープンでは準々決勝で、1セット先取し、第2セットでも2回のブレークに成功しながら、自ら崩れた。試合後、冗談交じりに、テニスをやめたくなったと話した。
この日のサバレンカは、見た目からも声からも、いら立ちが明らかだった。ただ、自滅ではなく、相手の優れたプレーに圧倒された。
試合直後にメディアの取材に応じたサバレンカは、昨年の全仏オープンでの記者会見のような、批判を浴びる発言は二度としないと述べた。サバレンカは当時、ココ・ガウフ選手に敗れたあとに、負けたのはガウフ選手が素晴らしかったのではなく、自分がひどかったからだなどと発言した。
サバレンカは大坂との試合後、「私はベストなプレーをせず、彼女はおそらくベストなプレーをした。そういうこともある」と述べた。
そして、「全力を尽くしても試合に負けることはある」、「ナオミは見事だった。最善を祈っている」と続けた。











